
1869年(明治9年)時はまだ「北海道開拓使」の時代、現在のサッポロビールの前身である「開拓使麦酒醸造所」が誕生しました。北海道では明治2年(1869)から明治15年(1982)までの13年間を「開拓使時代」と呼びます。この時代に作られたビールの味を再現したのがこの「開拓使ビール」です。 そこには北海道の開拓と日本の近代産業反映の礎を築いた先人たちの夢と情熱と苦悩が織り成す様々なドラマがありました

■ビールづくりに情熱を注いだ3人の男たち
ビール作りは北海道開拓の為に設けられた「開拓使」により立ち上げられました。 主に創業の立役者となったのは開拓使長官黒田清隆、現場で奮闘した開拓使の村橋久成、ビール醸造技師の中川清兵衛この3人の男達です。 この男たちの熱い思いが「ビールづくり」という壮大なプロジェクトを実現させ、近代ビールの礎を築いたと言っても過言ではありません

■麦酒醸造所は札幌につくるべき
北海道で野生のホップが発見され、ビールづくりに適した土地である事が分かり、最初に大きな構想を描いたのが黒田清隆です。
当初、政府は東京で試験的にビール醸造所を建設・運営し、成功したら北海道へ移設するという計画を立てていました。しかし村橋は、ドイツ式のビールの製造には北海道の気候風土が適している事や冷却用の氷雪が豊富な事を知り得ており、最初から札幌へ建設した方が経済的であるとし、政府にそれを強く提言し実現させたのです。

■本場ドイツ仕込みの技術
そして、日本人では始めてドイツで醸造学を修めた中川清兵衛が醸造責任者となり、ビールの醸造が始まりました。中川は密出国しドイツ人家庭の家僕として働いている所を当時ドイツに在住していた外交官青木周蔵に見出され、ドイツの醸造所で2年間醸造技術の習得に励みました。その姿勢は非常に熱心で勤勉だったという事です。

■幾多の苦難を乗り越えて
原料の調達や当時まだ高額だったビールを市場のある東京へ輸送する為の手段など村橋の苦悩は計り知れないものがありました。しかし、不屈の精神とその情熱で数々の苦難を乗り越え中川と共に日本のビール作りの礎を築いていったのです。

■夢の実現 冷製「札幌ビール」の販売
彼らの作り上げた開拓使ビールは、明治10年(1877年)夏から売り出され、ホップのきいた味わいが非常に好評だったとの事。その名も「冷製札幌ビール」。ラベルには開拓使のシンボルである北極星が使われており、そのマークは今のサッポロビールのラベルにも見る事が出来ます。

■札幌開拓使麦酒醸造所の民営化
しかし、明治19年(1886年)、政府の税政悪化により官営の麦酒醸造所は民営化されてしまいました。麦酒醸造所に限らず、開拓使が造成した様々な事業所が次々と民営化されていきましたが道内に定着せず姿を消して行きました。しかし、開拓使麦酒醸造所は幾多の変遷をとげながらも、現在に引き継がれ今日も当時の開拓精神を守り継いでいます。
札幌開拓使麦酒醸造所は今もサッポロファクトリーの一角に残されており、当時の貴重な資料や道具などが展示されています。「札幌開拓使ビール」の製造もここで行われています。












