エーデルワイスファームのことを語るのにあたり、切り離せないのが「はじまりのお話」。
この写真に映っているのは祖父母(昭和8年。当時、女性がデニム姿というのは珍しい)
祖父はノザキのコンビーフで名をあげた貿易商社 野崎産業の息子、
(野崎産業は元東証一部上場会社)
昭和の初めに、横浜の本家より札幌農学校へと移り住んできましたが、
その理由は「山と自然と動物を愛して」の札幌農学校(北大)の寮歌に憧れたのがきっかけでした。
祖母はニシンの網元で三大網元といわれた青山家の娘。
(青山家は明治から大正にかけて、ニシンで巨万の富を築いた)
そんな家庭で育った二人が昭和の初めに結婚してはじめたのが牧場でした。
スポンサーは親の会社。野崎産業北海道農場として、
150ヘクタールという広大な土地を買ってスタート。
当時の農業というと、北海道の場合、屯田兵の歴史にあるように、
つましい生活で、森林を伐採し、馬や手作業による農業が普通だったのですが、
祖父母の牧場は初めからトラクターを導入して開拓にあたりました。
牛を飼ってはバターやチーズ、豚を飼ってはハムやソーセージ、
小麦を育ててパンやケーキなど、羊からは羊毛でセーターやマフラーを、
蜂をかって蜂蜜を、鶏をかってクリスマス時期に
ベイクドチキンなどを楽しんでおりました。
そう、いまでいうスローフード&スローライフを楽しみながら、
農場経営をおこなってきたのです。
また、当時の牧場には、祖父の大学時代の親友の坂本直行氏がおりました。
#坂本直行~坂本龍馬の末裔。六花亭の包装紙デザインなどを手掛けた。
当時牧場に祖母の出産の手伝いに来ていた女性と後に結婚。
彼は昭和5年ごろに祖父が大樹町で始めた牧場生活に憧れ、札幌から単身移住。その移り住んできたときの雄大な自然に見染められ、牧場の作業の合間にスケッチをしていたそうです。この牧場での生活が、のちの山岳画家「坂本直行」を生むキッカケともなったようです。