2016年12月8日放送☆コネクト   ゲスト:浅田一憲さん

野崎(以下「野」):本日のゲストをお招きいたしましょう。日本にインターネットを普及させた立役者の一人で医学・色彩学博士の浅田一憲さんです。こんにちは。
浅田さん(以下「浅」):こんにちは、浅田です。
野:えー、こんな紹介でよかったんでしょうかね。
浅:ちょっと大げさですよね。
野:ちょっと大げさですか(笑)
浅:僕の紹介は難しいんですよ。いろんなことやってるので。なんかみんな人によって違うんですよね。どの顔を見てるのかとかね。
野:ん~難しいですよね。僕もここ十数年お付き合いさせていただいてますけど、まあ友人としてどうやって改めて紹介しようかなって今日すごく悩みましたもん。
浅:自己紹介が一番難しいですよ。僕の場合。
野:めちゃくちゃ長くなっちゃうんじゃないですか?現在は色について研究されている色彩学の博士として活躍されていますけれども、その前にね、日本にインターネットを普及させたってゆうのは、どういうことなんでしょうね。
浅:まあそれちょっと大げさなんですけれども、日本にインターネットを普及させた人ってたぶん千人とかたくさんいると思うんですけど、まあその中の1人であることは間違いないと思うんですが。昔あのー野崎さんモデムってわかります?
野:はい知ってます、知ってます。
浅:電話回線につないで、コンピューターにつないで、ピーヒョロヒョロヒョロガーって。あれって1,200bpsとかで1秒間に1,200ビットとか2,400ビットぐらいしか送れなかったんですけどそれだと遅すぎてインターネットで使うと大変なんですよね。
野:そうですねー。
浅:それで家庭まで速い回線がないと、インターネットってゆうのは普及しない状態だったんですけど、NTTさんがISDLってゆうデジタル回線をそのときだして、それでやればいいんだけども、ただすごく機械が高かったんですね。それとコンピューターをつなぐのに。ターミナルアダプターって機械が。十万円以上したんですよね。
野:そんなにするんでしたっけ。
浅:それで普及が妨げられていて、十万回線もない、五万回線とかしかなかった。1995年の時代ですけどね。
野:95年からはあれってあったんですか?
浅:ありました。あったことはあったんですけど全然普及してなかったんですよ。それで私札幌のそのときビーユージーってゆう会社にいたんですが、そことNTTが共同開発で、安くてすごい品質のいいターミナルアダプタってゆうのをつくったんですよ。それがMN128(イチニッパ)ってゆう機械なんですけど。
野:MNイチニッパ超有名ですよね。
浅:往年の名機ですよね。数百万台売れたという。
野:うわぁ、すごいですね。
浅:だって十万回線もないときですよ。そのときに数百万台売れた。だからその機械のおかげで爆発的にISDNが普及して、それでみんなデジタル回線で快適にインターネットを使えるようになった。
野:先程1,200bpsってゆう話をしてましたけどもISDNの理論上でデータ数値ってどれくらいだったんでしょう。
浅:128kbpsです。
野:ってことは…100倍?
浅:1,200ってゆうのは1.2kですよね。で、128kだから100倍速くなった。
野:ほ~すごい画期的ですね。
浅:実は今日はねMN128の誕生から21周年。
野:お~なんと偶然!
浅:12月8日でしょ?イチニッパの日ってゆうふうに…その日に発売したんですよ。
野:すごい~素晴らしい日に。
浅: ちょうど記念日ですね今日。毎年僕この日には乾杯してるんですよ1人で。
野:お~素晴らしい日になんとゲストとしてお招きできて、大変光栄ですね。なんか嬉しいな。今だから話せる裏話なんてあるんですかね?
浅:まあ北海道の一中小企業がね、急にNTTさんと共同開発みたいな、そこに持っていくまでが、すごくやっぱり大変でしたね。信用もないし。
野:NTTは元国営企業でしたもんね。
浅:そうですね。そのときはもう民間ですけど、それでも調達にいろいろなルールがあったりとか、本当にこの会社つくれるの?とか。注文きても材料仕入れられるのみたいな。そこから全部くずしていって。開発期間もね、すごく短かったんですよ。7カ月間。それが箱のプラスチックの金型つくるところからなにから全部含めて7カ月しかなかったんですよ。
野:おぉ~恐ろしいですね。
浅:毎日夜遅くまで働いて。
野:それって組み立てもある部分は?
浅:そうですよ、工場でつくるところも全部やって。
野:すごいな~。
浅:で、NTTさんに納品してたんですよね。
野:なんかおもしろいですね。そんな時代があったなんて。
浅:すごいですよ、あの頃のことを思い出すと。打ち合わせの時間さえももったいないので、当時最新のテレビ電話ってゆうのを使って。今だと当たり前にスカイプとかでできますけど。それで全部打ち合わせもやったりとかね。その話も有名になって日経ビジネスに載ったりしましたよ。
野:は~すごいですね。
浅:テレビ会議でつくった製品だとかって。
野:当時の日本じゃ考えられないですよ。だって大体テレビ電話をつなぐってだけでも、昔だったら本当に大企業中の大企業がやるようなことでしたから。
浅:まぁNTTさんだからね。
野:そうですけど、それにしたってすごいですね。そんなことがあったんだぁ。
浅:優秀なエンジニアがたくさんいたしね。きちっと今こうゆうスペックでこうゆう商品を出せば、絶対にISDNが普及するってゆう自身を持った企画というかね、仕様だったんで。おもしろかったです、この仕事は。
野:あの当時にいたメンバーにけっこうね、今じゃ有名な方々がたくさんいらっしゃいますよね。
浅:そうですね、けっこうベンチャーでそのあと活躍してる人は、そのビーユージーって会社の出身の方が多いですね。
野:ビーユージー系列って、それだけ北海道にインターネットの先駆けの人たちが当時集中してたってこともあるんですかね。
浅:そうですね。堀江貴文さんとかもビーユージーの子会社の東京の会社で、彼が東大の1年生のときにアルバイトに来てて、髪がこんな長くて(笑)
野:じゃあちょっとレゲエっぽいんですか、当時。
浅:レゲエっぽいというより、ちょっと汚い感じ(笑)
野:堀江さんがですか?!
浅:ホリエモンはビーユージー組の1人ですね。
野:他にはあれですよね、北海道って当時は…僕はね浅田さんよりも大体5、6歳年下ですけど、どちらかというとゲーマーの世代でしたんで。
浅:あーハドソンとか?
野:そうです、ハドソンとかね、そういったメーカーの方々が。
浅:あの頃北海道すごかったですよね、コンピューター系は。すごく強かったですよね。
野:そうですね。例えば今の子たちはやるかどうかわからないですけど、ICUチップを使って機械を自分たちで組み立てるとかっていっても、秋葉原に負けないくらい部品が札幌で売ってたりとか。すごいマニアックな話ですけど(笑)
浅:昔大阪屋とかありました
野:懐かしいですね。
浅:野崎さんは文系なのに詳しいですよね。
野:ちょっとその辺だけは中学生くらいのときにいじってたので。0101ってマシン語でプログラムをちょっとやった時代も僕はありましたんで。
浅:僕今でも言えますよ。あのZ80ってゆうCPUの機械語ってゆうかマシン語全部覚えてます、まだ。
野:えーすごい、僕全然覚えてないですよ。やっぱ浅田さん天才だよなぁ。

野:こちら一応構成がおりてきてるんですけども、構成がないところでもね、うちの構成作家から質問してくれって言われてるんですけど、そもそも私が浅田さんと会ったのは今から12年?
浅:13年じゃない?
野:13年前ですかね。でも実はその前から知ってるんですよね?
浅:そうなんですよ。僕野崎さんとこのハムとかベーコンの大ファンで、買ってたんですよね。お客さんだったんです。
野:当時私がまだインターネットでお客さんの接待というか接客もしてたんで、それでやりとりを何度かね。
浅:そうですね。注文したら野崎さんからメールが入ってきた。
野:いつも浅田さんの名前があって、必ずその当時にあったメールアドレスのドメインがオープンループのドメインだったんで、あ!あの有名なオープンループの社長さんなのかな?と思いながら。
浅:でも当時からエーデルワイスファームのウェブサイトはすごいよくできてましたよね。
野:ありがとうございます。
浅:これ誰がつくったんだろうって感心してました、いつも。
野:浅田さんは当時インターネットをつくられた方の一人でもありましたけど、私は私でさほど浅田さんほど花は咲かなかったですけど、インターネットで一番最初に世の中で物を売った会社でもありましたんで。そんなこともあって自分なりにプライドを持って、どうやったらおもしろいホームページにできるのかなって、いつも悩みながら。あとはプラグラムもちょっとやってた経験があったんで。当時はHTML、今もありますけどもハイパーテキストっていわゆるエディターがない時代、全部手打ちで打ってページ制作してましたんで。
浅:文系なのにね。
野:ええ文系なのに(笑)そうゆうのけっこう好きでやってたところから意外とホームページづくりを楽しみながら。ですけど会社の中では最初認めてもらえなくて、けっこう遊んでるって思われてましたから。なかなか苦労しました。
浅:ちょうど13年前の今頃かな。ハムかなんかを頼んだんですよね僕ね。そしたら野崎さんから返事が返ってきて、一言書いてあるんですよね、僕宛てのメッセージが。これはどうやってつくってるとか。そのときちょうど年末で、うちでクリスマスパーティーをやろうってことになって、ちょうど誰を呼ぼうかな~って考えてたときにそのメールが届いたんですよね。それでよかったら23日うちに寄ってくださいって。
野:いやぁ懐かしいですね。
浅:まぁ来ないなと思って何の気なしに出したんですけど。そしたら行きます!ってゆうのが返ってきて。それで初めてうちで会ったんだよね。
野:そうですね(笑)いやぁ懐かしいですよ。本当にあの時はまだいろんな部分で悩んでた時代でもありましたんで。当時そもそも人間嫌いがね、人間不信になってた時代からようやっとあけてきたときに。
浅:今から考えられないですけどね、野崎さんが人間不信だったとはね。
野:いや本当にみんなそう言ってくれるんですけど、あの時はけっこう恐る恐るでしたよ。浅田さんのとこに行くのはね、正直いつもならば断るよねって自問自答しながら、でも僕が知らない世界って、アメリカに留学してたこともありましたから、やっぱり見てみたい知ってみたい、憧れてた人に会ってみたいってゆうのもありまして。で、やっぱりちょっと行こうかなって。けっこう悩んだんですよ。
浅:でもそのとき勇気をだして家に来てくれたから、今こうやって仲良く付き合ってるんで。
野:そうですね今でこそ、本当度あるごとに。あと逆にね、あの時僕まだ食べ物に対して、恥ずかしいんですけど、今でこそ美味しいハムやベーコンを世の中に出してるって堂々と言えますけど、意外と知らなくって。「札幌で美味しいお店野崎さん知ってるんだろ、一緒に行こうよ」って言われたんですけど、全然知らなかったんですよね。
浅:あんまり食に対して詳しくなかったもんね。
野:そうですね、本当今だとお恥ずかしいですけど。それで浅田さんに引っ張り出されて、一緒に食べ歩きを、一番多い時ですと月にたぶん4、5回…
浅:そんなに行ってました?
野:行ってましたね。僕、今でこそワインが大好きですけど、ワインを教えていただいたのは浅田さんでしたね。
浅:そうかもしれないですね。
野:「ワインの飲み方、ワインの美味しいの知らないなんて恥ずかしいよ君」とかって言われて(笑)いやぁ懐かしいですよ。よく怒られましたもん。そんな感じでお付き合いが始まってもう十数年。今年もね、クリスマスパーティーをまた一緒に楽しく過ごそうと思っておりますけど。浅田さんもあの当時は、医学博士だったんですけど、まだ今の色彩学という部分はね、全くまだ携わってなかった。
浅:全くその頃はなかった。まだやってなかったですね。僕その頃ね、オープンループってゆう自分の会社を創立して、1997年に。その会社は情報セキュリティってゆう技術、暗号とかね、インターネットで人から見られないようにするとか、安全に取引するとか、その技術をやってたんですよね。それも日本ですごく最初の頃にやってて、そのオープンループって会社はできてからものすごい勢いで成長して、3年7カ月くらいで上場したんですけど。
野:早い。
浅:上場して一番忙しい次の年かな、一番忙しいときに医学部を受験して、社長やりながら大学院生もやってたんですよ。ちょうどその頃じゃないですかね。
野:そうですね、ちょうどお会いした頃ってゆうのは。その辺のあたりで会って、浅田さんが当時悩まれてる姿も遠くから見てたのをなんとなく覚えてますよ。でもね、口に出さないんですよね浅田さんて。
浅:いやそんなことないですよ。いつも野崎さんには泣き言を言ってると思います。
野:え~そうですか?そんな風に見えてなかったけどな。でも僕もね、すごく悩んだ時代があったから、すごくわかる部分もあって。
浅:そうですね、野崎さんの悩みはよく聞いたかもしれない(笑)
野:はい、まぁお互いさまでしたね。もう古い話ですけど。僕もね、いろんな友達いるんですけど、長くお付き合いさせていただいている友人はやっぱり浅田さんかなぁ。お互い気兼ねなくいろんなことを言いますし、いつも浅田さんからダメ出しもされるんですけど、全然僕はへこたれないんで、ちゃんと受けるときもあれば、僕はこうしなきゃいけないって自分なりの哲学もあって、譲らない部分もあるんですけど、それもちゃんと見ててくれるのは良き先輩だなと思ってますね。
浅:ありがとうございます。

野:さて浅田さんにお話ししていただきたいなと思ってるのは今の話ですね。医学色彩学博士として携わろうというか、きっかけになった部分ってゆうのは何だったんでしょうかね。
浅:話すと長くなるので短く言うと、オープンループという自分の情報セキュリティーのITのベンチャーをつくって、その会社が大きくなったんですけど、その会社はもう後輩に任せて僕は一線から引いたんですね。そのあと何をしようかなと思ったんですけど、バイオテクノロジーに興味があって、やっぱり人の生き死にに関わるような、人の命を助けられるような仕事をしたいなと思って、医学部に社長時代から行ってたんですけど、そこでDNAとかの研究をやってたんですよ。コンピューターと医学の両方の知識ができたわけじゃないですか。それ使って何をやろうかって思ったときに、当時アーギュメンティドリアリティってゆう拡張現実、ポケモンGOとかで今使われてるんですけど、本当の画像とつくりものの画像を重ね合わせて、わかりやすくするってゆう技術がちょうどできた頃だったんですね。これを使って色弱の人、色があんまり区別できなかったり見えない色があったりする人がいるんですけど、そうゆう人の為に色を見るのを助けるアプリをつくろうと思ってですね。そのとき僕また大学に行ってたんですよ。慶応大学に行ってたんですけど、3つめの大学でね。その大学時代にそれをやったんですね。
野:すごいですよね。その当時、技術の部分は素人ですから知らなかったですし、「開発をやろうと思うんだけど、どう思う?」なんて浅田さんに言われたときに、「そんなアプリがもしできたらすごいですよ」って言ったのを今でもはっきり明確に覚えてるんですよね。あのときはそんなアプリまさかつくれるはずもないって。
浅:僕もつくれるはずないって思ってたんですよ、実は自分で。でもなんとかやってみようと思って、苦しみ苦しみながらね。
野:今じゃ世界中の人たちが何百万ダウンロードですよね。
浅:30万、40万ダウンロードですね。本当に世界百何カ国の人がみんな使ってます。
野:すごいですよ。アプリの名前がですね「色のめがね」ですね。
浅:そうですね。「色のめがね」と「色のシュミレータ」というアプリ2本あるんですけど。
野:ぜひアップルストアとかアンドロイドのほうでご覧になっていただけるといいんですが、こちら無償でだされてるってゆうのがすごいなぁと思うんですけど。無償でだすってゆうのも浅田さんの最初の考え方からなんですか?
浅:そうですね、困ってる人の為のアプリなんで、なるべく安いほうがいいってゆうことと、私その時会社を1社上場させて、自分の会社だったんで財産ができたんですよ。その会社の株を売ってね。それをどうやって使おうかなって思ったときに、お金を寄付するんじゃなくて、そのお金を使って自分の手を動かして何かものをつくることで、社会に貢献したいなって、その時かっこよくも思ってしまったんですよね。それはもう絶対にブレないで全部それは無料でやってるんです。
野:すごい。だって100円でだして仮に40万ダウンロードとしたら、すごい財産になってしまうのに、一銭も受け取らないってゆうのはすごいなって僕思いますよ。通常アプリを開発したりとかゲームもそうなんですけど、必ず課金ってゆうかたちで、最初はタダだけどあとから何かしら広告がついてきたりとか。
浅:広告も僕絶対ださないです。
野:そういうお金の仕組みをつくることを一切やらないってゆうのは、やっぱり全然見てる視点が違う。ストレートに自分のやりたいことをやるって決めて、それをやり通す姿はね、近くにいて「こうゆう風にならないといけないな」っていつも学ばされるところが多いですよ。
浅:成功してからやってください(笑)「色のめがね」ってゆうのは色弱の人の為のサポートアプリなんですけど、目がよく見えない人っていますよね、例えば老眼がすごい進んじゃったとか、白内障になったとか。あと弱視ってすごい近づけないと物が見えない、視力の弱い人がいるんですけども、その人たちが物を見るためのアプリをつくったんですよ。「明るく大きく」ってゆうアプリなんですけど。実はそっちのアプリのほうも、ものすごく世界中で使われていて、アメリカとかだと盲学校が各州にたくさんあるんですけど、学校をあげて全部使ってる。僕のアプリをね。そっちも何十万使われてます。
野:すごいですね。日本人の男性の色弱って5%くらいでしたっけ。
浅: そうですね、男性の5%くらいですね。
野:僕アメリカで1年住んでたときに、まわりにいっぱい色弱の方々がいたんですけど。
浅:たぶんアメリカ人だと8%くらいいると思います。
野:そんなに高いんですね。
浅:8%だと12人に1人だからね。
野:すごい多いですよね。そんな感じでよく近くにそういった友人がいて、アメリカの友人が「俺は色が見えないんだけど、これ何色なんだ」って聞かれたことが何度かあったんですよ。日本だとあんまり身近に感じなかったんですけど。
浅:近くにそうやって聞ける人がいる場合はいいんだけど、1人のとき困るので僕のアプリ使っていただければ、すぐ何色かもわかるし。シャツをよく買えなくて、例えば茶色いシャツとちょっと濃い緑色のシャツが同じに見えちゃうんですよね。茶色いシャツを買いに行ったんだけど緑色を買ってきてしまうってことが、よくあったんですよ昔。そこで僕のアプリをパッとだして使ってもらえばわかるし、何色かね。
野:そうですよね、色も画面上にでてきますもんね、表示されて。
浅:あと身近な例だと焼肉でもすきやきでもいいんですけど、焼いてるときに最初生の肉は赤いですよね。で、火が通るとちょっと茶色くなりますよね。あれば全く同じに見えるんですよ。だからジンギスカンを外で焼いてても、この肉が焼けてるのか焼けてないのかってゆうのは質感を見て、ちょっと焦げがついてるから焼けてるんじゃないかとか、そうやって色弱の人は区別してるんですよね。まぁさすがに焼肉食べるとき僕のアプリかざしながらってゆうのもアレだと思うんですけど、でもそうやって食べてる人もいます。
野:本当に便利なアプリなんで、ぜひ一度ご覧になっていただけるといいなと思います。浅田さんからお話も伺ってますけど、浅田さんのところに届く、使用されている感想の中に、とあるご夫婦の話があって、奥様が正常なんだけど旦那様が色弱で、旦那様がどのように普段感じているのかってゆうのをシュミレーションしてみたときに、自分の旦那はこんなふうに見えてたんだって思って泣きましたとか。あとはこうゆう不自由な世界なんだってゆうのを、改めて自分なりに受け取れて、旦那と同じ感覚で物事を一緒に見れるようになりましたとかって感想を見たときに、こうゆう風にやはり受け止めることができるんだなって。
浅:本人はそんなに不自由だと思ってないんですけどね。でも自分の旦那さんがどうやって見えてるかがわかれば、もうちょっとこう。
野:言葉もたぶん違いますよね。
浅:いくら色見えないって聞いても、実際にどうゆうふうに見えないのかって自分が体験してみないとわからないから、それを見れるようにしたのが「色のシュミレータ」ってゆうアプリなんですけど。
野:そうゆうのがあると全然違うんだろうな。やっぱり自分たちで経験がないから、わからない部分もあるんですけど、それをああいった形で見せてもらえるってゆうのは。
浅:最近ですとそれを目のところにつけるヘッドセットみたいなものに付けて、色弱の人の見え方で街を歩くってゆうのをつくったんですけど。こうゆうところが危ないんだとかね、そうゆうことがわかる。
野:確かに世の中には危険なものが多いかもしれないですよね。

野:もう一つ触れていきたいのは「TED」の話なんですけど。浅田さん今TEDにいろいろ携わってますよね。
浅: TEDってゆうプレゼンテーションのイベントがありまして、全国各地、全世界でやってるんですけど、その中でTEDxSapporo(テデックスサッポロ)ってゆうイベントに、ちょっと関わっています。
野: TEDに関わってもう4年目、5年目でしたっけ?
浅: それぐらいですね。
野:大分ひろがりも見えてきてる中、これから北海道だけじゃなく全世界に向けて、先程のテーマの中にもあるんですけども、北海道を元気にするってゆう部分でスピーチを含めて考えたら、どんな人が現れることを望まれますかね?
浅: やはり普通に会社勤めして人につかわれてるだけじゃなくて、自分でどんどん会社をつくってほしいですね。そうゆうすごいことやってきてる人たちって、会社つくらなくてもいいけど、いろいろな人の影響を受けて、自分で会社をとび出したりとか、学校をとび出したりとか何かやってる人が多いので、まずそのすごい人たちに興味をもつってゆうことですね。それから影響を受けたら、今度は自分でやってみようってゆう、そうゆうのをTEDとかを見てどんどんやってほしいを思ってるんですけども。
野:僕ね、浅田さんとお会いしたこともそうだったんですけど、すごい人だなぁと思う人たちって世の中いっぱいいるじゃないですか。これは浅田さんや先輩方に教えてもらった部分でもありますけど、すごいなぁと思っているうちは単なる憧れでしかなくて、そこから一歩先に進んだところで、例えば友人になったりとか、お話を聞く機会をもっと増やしていったりとか、どんどん身近になっていったときに、この人もいろんな苦労をされて先に進んでいる中で、自分なりにそこに辿り着きたいとか、もしくはそれを超えてみたいだとか見えてくる部分はたくさんあるんで。今日来ている高校生の方たちにも言いたいんですけど、憧れじゃなくてできないなじゃなくて、自分でそこのステージに立ってみて、もう一歩先、上にあがっていくようなことを自分たちの足でやっていただきたいなと思います。
浅:もう誰にでも会いにいけばいいと思うんですよ。会いたい人にね。最初は門前払いされると思うんですけど、ちょっと何か頑張ってね、何かできたらまた会いにいけるし。どんどん躊躇しないでやったほうがいいと思います。
野:今の日本には閉塞感がときおりあったりするんで、できないじゃなくまずやってみることをおすすめしたいと思います。
もっといろんな話を浅田さんから聞きたい部分もあるんですけど、エンディングのお時間になってしまいました。
本当にユニークでなおかつ様々なことを多様に受け止めて、お仕事とか生活を楽しまれてる浅田さんを見てて、いつか私もこうゆうふうになってみたいなと思っている一人でもある、よき先輩をお迎えして1時間過ごさせていただきました。


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