本物のスローフードスローライフを夢見て 広大な北海道の大地で、昭和初期から始まったその生活は美味しさを追い求めた歴史です

ファームの歴史は、80年以上も前から始まりました

コンビーフで知られる横浜の貿易商、野崎産業(株)創立者の五男・健之助は「山と自然と動物を愛して」の北海道大学寮歌に憧れを抱き、北海道へ移住し、北海道大学に入学。そこでバターやチーズ、ハムやベーコンなどの畜産加工技術を実習しておりました。
その後、小樽祝津に「青山別邸」を築いたニシン漁網元の娘と出会い結婚。〔現・会長の両親となるふたり〕
いつしかふたりは「家族で自然の生活を楽しみながら、本当においしいものを作って食べる暮らしをしたい」という夢を持つようになり、十勝・広尾郡広尾村(現・広尾町)に150ヘクタールもの原野を購入し、当時では珍しかったトラクターを導入して原野を開墾し、牧場経営を始めたのです。
食品加工に関わりのある家庭に生まれ、幼き頃より本物の味にふれて育ったふたりは“安全で美味しい本物の味”に大変な関心と信念を持っており、家族と共に自分たち独自の生活・食文化を築いていきました。

★ふたりがはじめた牧場は、六花亭の包装紙のデザインを手がけた山岳画家として有名な坂本直行氏(坂本龍馬の末裔)が青年期を過ごした牧場でもあります。昭和5年に初めて牧場を訪れた直行氏はその風景に心を奪われ、牧場での生活を喜びとしておりました。同氏が書かれた書物の中に当時の牧場生活の喜びと厳しさが詳細に記述されています。

それは四季を通じて様々なものを手作りして家族で楽しむ生活。
牛を育てては搾った牛乳からバターやチーズを作り、豚を育てては長い冬の保存食用にハムやベーコン、ソーセージに加工、クリスマスには鶏やアヒルをローストチキンに。
そして羊から刈り取った毛ではセーターを。
畑で収穫した大豆は味噌や納豆、小麦からパンやビスケットを作り出すなど、今でいうスローフード・スローライフだったのです。

そんな環境の中で幼き日々を過ごした現会長も北大畜産学科食品加工を卒業し、先代から受け継いだ製法で自家用にハムやベーコンなどを作り続ける中、“凍るか凍らないかの温度(氷温域)”で長期熟成すると、肉だけではなく脂身まで驚くほど美味しくなることに気付き独自の「長期氷温熟成」を完成させました。

目指していたのはカントリーライフ...
そして、牧場生活の中で生まれた家族で楽しむ味

こうして売ることを目的としたものではなく、家族で楽しむためだけに半世紀以上にも亘り手造りしていたハム・ベーコンは、1985年、ホテルシェフの間で噂となり、特に札幌グランドホテル料理長からは「これだけのものは日本中を探してもまずないだろう、すぐにでも商品にしてほしい」と強く要請されました。
これがきっかけとなり、遠い昔の牧場時代から家族で手造りし、長く楽しんできた自家用品は、1986年に初めて世に出ることになったのでした。

私たちはどこにも負けない美味しくて安全なものを作ることを第一に考えます。
そのため、50年以上も自家用のためだけに造ってきた私たちは、採算を度外視して常識では考えられないほどの材料費と時間、手間をかけて作る製品は、当時の地元では高級すぎたのかもしれません。 札幌のデパートの催事でも「確かにおいしいけれど、スーパーで売っているものと比べると高すぎるわね」とよく言われました。
今では考えられないことですが、当時の北海道は『質』より『量』の時代でしたから、それは当然のことだったのかもしれません。
商品化から半年ほど経過した頃、東京のデパートから声がかかり、ギフト催事と試食販売に出かけることにしました。
すると、そのデパートの産直販売品の売り上げベスト5にランクイン。 その時にデパート担当者からかけられたひと言が私たちの自信を取り戻すきっかけとなったのです。
― 「今までに一番売れたハムメーカーの3倍くらい売れてるよ」
これをきっかけに、地元での販売をやめて首都圏のデパート催事などでの販売を中心とするようになり、2年半ほど続けておりましたが、この間、中間経費の大きさを痛感しました。

“この「他にはない美味しさ」を何とかリーズナブルにお客様に提供する方法はないか・・・”
これが、次の大きなテーマとなり、「直接販売」の基でもある通信販売を開始し、今では独自の「氷温熟成」による私たちの製品は“知る人ぞ知る隠れた逸品”として少しずつ認知されるようになりました。

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