国道36号線から1本入ると、両側に木々が茂った一車線の道になります。坂を下りきったところに、明治の建物が残っています。
北広島市の島松には、北海道の寒地稲作が始まった場所と、クラーク博士が教え子に別れを告げたとされる場所が、同じ敷地にあります。
エーデルワイスファームから車で10分ほどの「旧島松駅逓所(きゅうしままつえきていしょ)」です。この記事では、ここで何が起きたのかを、北広島市と文化庁の資料で確かめながらたどります。
旧島松駅逓所は、国が指定した史跡です
旧島松駅逓所は、1984年(昭和59年)7月25日に国の史跡に指定されています。
駅逓所(えきていしょ)とは、開拓期の北海道に置かれた施設で、人馬の継立や旅人の宿泊を担いました。島松の駅逓所を務めたのが、中山久蔵(なかやま きゅうぞう)という人物です。北広島市教育委員会の資料によれば、現在の建物は、久蔵が勇払会所の建物を購入して明治6年(1873年)に移築・増築したものが元になっています。明治7年と明治14年にも増築され、1984年から1990年にかけて、明治14年ごろのものと思われる図面をもとに整備・復原されました。
中山久蔵は、寒い土地で米を実らせた人です
中山久蔵は明治6年(1873年)、大野村(現在の北斗市)から取り寄せた「赤毛」という品種で、この地の水稲栽培に成功しました。
当時、北海道での稲作は難しいと考えられていました。久蔵が栽培に成功した「赤毛」は、その後北海道各地に広まり、寒地稲作の礎となった品種として知られています。島松の敷地には「寒地稲作 この地に始まる」と刻まれた碑が立っています。
明治14年(1881年)、明治天皇が北海道を巡幸した際には、この建物が行在所(あんざいしょ=天皇の一時的な滞在所)となりました。
クラーク博士が、ここで教え子と別れました
明治10年(1877年)4月16日、札幌を発ったクラーク博士は島松に至り、ここで教え子たちに別れを告げたと伝えられています。
「Boys, be ambitious」の言葉がこのとき残されたとされていますが、北広島市教育委員会の説明も「といわれています」という書き方をしています。断定できる一次資料は確認できていません。クラーク博士が日本に滞在したのは1年に満たない期間でした。それでもこの言葉だけは、いまも残っています。

訪ねるときの情報
旧島松駅逓所は北広島市島松1番地1にあり、駐車場があります。
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| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 北海道北広島市島松1番地1 |
| 開館時間 | 10:00〜17:00 |
| 休館日 | 毎週月曜日(祝日を除く) |
| 入館料 | 大人200円/小中学生100円 |
| 開館期間 | 例年4月下旬から11月上旬まで |
※開館期間・料金は変更されることがあります。お出かけ前に北広島市の公式ページでご確認ください。

館内では、管理人の方が駅逓所の歴史と中山久蔵について案内してくださいます。建物の周囲は森と川に囲まれていて、秋には木々が色づきます。
当ファームと、この土地のこと
エーデルワイスファームは、北海道北広島市で薪・炭火仕上げのハム、ベーコン、ベーコン節®を製造しています。
家族が自分たちで食べるためにハムとベーコンを作りはじめて約90年になります。1985年に一人のシェフから「店で出したい」と請われ、1986年に製品として売り始めました。この土地で米が実るようになったのが明治6年、当ファームの工房が動きはじめたのがそこから半世紀あまり後です。燻煙室の扉を開けると、いまも肉の匂いより先に薪の匂いが立ちます。
EPILOGUE
北広島は、通り過ぎる町ではありません。
国道36号線を走っていると見落としますが、
一本入った先に、北海道の米とクラーク博士の言葉が残っています。
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北広島の工房でつくっているのが、薪・炭火仕上げ ベーコンブロック 280g です。
直売店でも扱っています。旧島松駅逓所からは車で10分ほどです。
