百貨店の催事の準備は、会期前日の昼から始まります。什器に布をかけ、看板を立て、商品を並べて、当ファームのスタッフは3時間以上かけて売り場を作ります。

この記事は、エーデルワイスファームが百貨店の物産展に呼ばれ続けている理由を、40年分の記録で追う話です。誰が出店者を選び、何で翌年が決まるのか。1986年の危機、2004年の撤退、2015年の復帰、そして2025年の25回。売り場で起きていることを、評価ではなく事実で書きます。

百貨店の大北海道展の売り場で、エーデルワイスファームのスタッフがお客様にベーコンを手渡している
大北海道展の売り場。会期中の売り場で起きたことが、そのまま翌年の招待を決めます。

物産展の出店者は、百貨店が選ぶ

この話は、選ばれる側の話です。

百貨店の北海道物産展は、一般に、主催する百貨店が出店者を選びます。作り手が申し込めば並べてもらえる場所ではありません。売り場を預かる担当者は、限られた区画にどの作り手を入れるかを決め、会期が終われば、その区画で何が起きたかを数字で見ます。翌年の同じ催事に声がかかるかどうかは、そこで決まります。

当ファームの代表は、この仕組みを次のように言います。

VOICE

「どんなに優れていても、売れないものは翌年はほぼ呼ばれない。
それが百貨店の物産展です。」

— エーデルワイスファーム 代表

品評会の審査は、審査員が製品を口に入れて終わります。物産展の審査は、会期の初日から最終日まで続き、来場者が財布を開くかどうかで採点されます。当ファームは、これほど逃げ場のない評価はないと考えています。同時に、これほど分かりやすい評価もないとも考えています。当ファームは、この評価を1986年から受けてきました。途中で一度、自分たちから降りた時期を挟んで。

1986年、店じまいを考えた年に、渋谷から声がかかった

最初に当ファームを選んだのは、西武百貨店渋谷店のバイヤーでした。

エーデルワイスファームがハムとベーコンを製品として売り始めたのは1986年です。当時は世の中全体が「質よりも量」を求める時代で、道内の百貨店催事に出ても「美味しいけれど、いいお値段ね」と言われる日が続きました。数か月売れ行きが変わらなければ店じまいをしよう、と考えていた年に、西武百貨店渋谷店のバイヤーから「ギフトシーズン中の催事に出店しませんか」と声がかかります。

当ファームは1987年から渋谷店の催事に出店し、1989年には常設の売り場(プロパー出店)を持つようになりました。1993年春の閉店まで売り場を続け、その間、夏と冬の産直ギフトで5回連続の売上1位を記録しています。この数字は当ファームが付けたものではなく、百貨店の集計です。渋谷店が閉まった1993年の秋からは、高島屋をはじめとする全国の百貨店催事へ出るようになりました。この時期の詳しい経緯は、創業からダイヤモンド賞までの記事に書いています。

西武百貨店渋谷店の建物が見える渋谷の街並み
渋谷。1987年の催事出店から1993年春の閉店まで、当ファームはここに売り場を持っていました。

2004年、年間200日の催事を、ひとつを残してやめた

呼ばれ続けることと、作り続けることは、両立しないときがあります。

2004年の時点で、当ファームは年間200日以上を百貨店の催事に出ていました。2002年に直売所の前身となるショールームを開くと、需要はさらに伸びます。ここで当ファームは、2004年に催事を一件だけ残してすべてやめる判断をしました。理由は、当時の記録にこう残っています。美味しくて、安心安全なものを確保するため。

当ファームのベーコンは、塩漬液に浸してマイナス2℃で約4週間かけて熟成させ、二年間自然乾燥させたオーク材の薪と炭の直火で燻します。原料肉10kgから完成するのは約6kgです。この工程は日数を短くできず、催事に出る分だけ、工房で火を見る人手が減ります。製法の詳細は製法比較の記事に譲りますが、年間200日の売り場と、約4週間の熟成は、同じ人数では回りませんでした。

それから十数年、当ファームは百貨店の売り場からほぼ姿を消しています。当ファームは、この期間を、呼ばれなくなったのではなく、自分たちで出なかった期間だと考えています。

2013年、二年越しの誘い

復帰のきっかけも、バイヤーからの声でした。

2013年、当ファームの代表は商談会で、阪急うめだ本店の北海道物産展を担当していたバイヤーの薬師寺氏と出会います。薬師寺氏は二年にわたって出店を誘い続け、当ファームは2015年、阪急うめだ本店の北海道物産展に出店しました。この出店を機に、ほかの百貨店の担当者からも改めて声がかかるようになり、当ファームは「限られた範囲で出店する」と決めます。工房が回る範囲で、という意味です。

秋の北海道物産大会の看板の下で並ぶ、エーデルワイスファームの代表と阪急うめだ本店のバイヤー薬師寺氏
2017年秋、阪急うめだ本店の北海道物産大会で。左が当ファームの代表、右がバイヤーの薬師寺氏。

当ファームは2023年、同じ薬師寺氏の後押しで、ベーコン節®を阪急うめだ本店で最初に発売しました。原価を考えると誰が買うのだろうと悩んでいた当ファームに、薬師寺氏はこう言っています。

VOICE

「ぜひ大阪で最初にリリースしましょう。
大阪で売れたら、全国で売れますよ。」

— 阪急うめだ本店 バイヤー・薬師寺氏(2023年)

2023年5月、当ファームは毎日50本限定でベーコン節®を売り場に出しました。用意した50本は、毎日、閉店を待たずになくなりました。この経緯はベーコン節®の物語(後編)に書いています。バイヤーの言葉が当たったかどうかは、その後の売り場が答えています。

売り場で起きていること

売り場は前日の昼から作り、会期中は、切って、温めて、手渡します。

店作りは、会期の前日の昼に始まります。当ファームのスタッフは搬入したケースを開け、什器に布をかけ、看板を立て、商品を並べます。ここに3時間以上をかけるのは、見栄えのためではありません。当ファームの代表は、お客様と接客しやすい場を作るために、レイアウトを大事にしていると言います。翌朝、開店のアナウンスが流れるとき、売り場はもうできあがっています。

当ファームのスタッフは、会期中、試食用のベーコンを薄く切って鉄板で温めます。二年乾燥のオークの薪で燻したベーコンは、鉄板に置くと、脂が溶けるより先に煙の匂いが立ちます。当ファームのスタッフの経験では、通路を歩く人が足を止めるのは、声をかけたときより、この匂いが届いたときです。味の感じ方には個人差がありますが、匂いは通路の向こうまで届きます。

百貨店の売り場でエーデルワイスファームのスタッフが接客している。木製の看板とショーケース
札幌のきたキッチンでの売り場。看板は代表の手製です。

手渡した一枚を食べた人が、買うか、買わないか。それが一日に何百回も繰り返され、会期が終わると数字になります。数字は百貨店の担当者のところへ行き、翌年の区画割りの材料になります。当ファームに限らず、どの作り手にも同じ審判が下ります。品評会の星があっても、テレビで紹介されていても、売り場の数字はそれとは別に出ます。

主要都市の百貨店ほど、この審判は厳しくなります。阪急うめだ本店、横浜高島屋、日本橋高島屋、ジェイアール名古屋タカシマヤ。当ファームの代表は、こうした会場で出店者が毎年入れ替わるのは、至極当然のことだと言います。全国の作り手が同じ区画を目指しているからです。

2020年は、新型コロナウイルスの影響で春の催事の多くが中止になり、当ファームの出店は6会場にとどまりました。翌2021年は12会場、2022年は14会場、2023年は16会場、2024年は21会場、2025年は25会場と、招かれる会場は毎年増えています。2026年は34会場に出店する予定です。

百貨店催事などへの年別出店会場数(当ファームの記録) 32017 72018 132019 62020 122021 142022 162023 212024 252025 342026 2020年は新型コロナウイルスの影響で春の催事の多くが中止。2026年は出店予定を含む会場数

※出典:当ファームの催事出店スケジュールと社内の出店記録。累計は示していません

40年の記録

年表にすると、呼ばれた年と、出なかった年が並びます。

TIMELINE

1986年 ハム・ベーコンを製品化。道内の催事で売れ行きが伸びず、店じまいを考える。西武百貨店渋谷店のバイヤーから出店の誘い
1987年 西武百貨店渋谷店の催事に出店
1989年 渋谷店に常設の売り場(プロパー出店)。1993年春の閉店まで、夏冬の産直ギフトで5回連続の売上1位
1993年秋 高島屋をはじめとする全国の百貨店催事へ
2002年 北広島の工房に、直売所の前身となるショールームを開く
2004年 年間200日以上あった催事を、一件だけ残してすべてやめる。理由は、美味しくて安心安全なものを確保するため
2013年 商談会で、阪急うめだ本店のバイヤー・薬師寺氏と出会う。二年にわたる誘いを受ける
2015年 阪急うめだ本店の北海道物産展に出店。百貨店催事への復帰
2017年 日本橋高島屋・阪急うめだ本店・横浜高島屋の3会場。以後、毎年出店の記録が残る
2020年 新型コロナウイルスの影響で春の催事の多くが中止。出店は6件
2023年5月 ベーコン節®を阪急うめだ本店で最初に発売。毎日50本限定
2025年 全国の百貨店の北海道物産展などに25会場出店
2026年 34会場に出店予定。9月には玉川高島屋、名古屋高島屋、新潟伊勢丹、阪急うめだ本店、日本橋高島屋へ

この年表には、呼ばれなかった年は書いてありません。それは当ファームの記録に、招かれなかった催事の一覧がないからです。呼ばれなかったことは、記録に残りません。残るのは、呼ばれた年だけです。読者の方には、その空白も含めて年表を読んでいただければと思います。

2025年、25回

25会場という数字は、25回分の審判を通過したという意味です。

2025年、当ファームは横浜高島屋、阪急うめだ本店、日本橋高島屋、そごう広島、玉川高島屋、ジェイアール名古屋タカシマヤ、香林坊大和、富山大和、天満屋岡山本店、大丸神戸店など、全国の百貨店の北海道物産展に出店しました。北広島の工房から、そのたびにスタッフが向かい、鉄板を温め、看板を立てています。看板は、代表が自分で作った木のものです。

エーデルワイスファームの催事売り場に立てる、代表手製の木製看板
代表が自分で作った木の看板。売り場に立てて使っています。

この記事を書いている2026年9月も、当ファームは玉川高島屋の秋の大北海道展の売り場に立っています。来年の同じ催事に呼ばれるかどうかは、この会期の数字で決まります。当ファームは、それでいいと考えています。売り場の数字は、作り手が自分では付けられない点数だからです。

EPILOGUE

毎年呼ばれ続けているのは、毎年、売り場の審判を受け直しているからです。

エーデルワイスファームは、北海道北広島市でハム・ベーコン・ベーコン節®を製造しています。
1986年に渋谷から声がかかり、2004年に自分たちで降り、2015年に大阪から戻りました。
次の会期でどうなるかは、まだ決まっていません。それを決めるのは、売り場に来た人です。

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WHO MADE THIS

エーデルワイスファームは、北海道北広島市で薪・炭火仕上げのハム、ベーコン、ベーコン節®を製造しています。

ドイツの伝統的なハムとベーコンを、家族が自分たちで食べるために作り始めて約90年になります。1985年に一人のシェフから「店で出したい」と請われ、1986年に製品として売り始めました。沿革を見る

マイナス2℃

約4週間かけて熟成

10kg → 6kg

原料肉から減る分だけ、味が凝縮します

二年乾燥のオーク

薪と炭の直火。火加減は職人が見ます

塩漬液に浸して塩せきします。短時間で仕上げるインジェクション(注入)もタンブリングも行いません。マイナス2℃で約4週間かけて水分を抜きます。焼いたときに脂が澄んで、厚切りでも重くならないのは、この4週間で抜けた分です。製法を見る

EVALUATION

1 2017年から毎年、全国の百貨店の北海道物産展などに出店(2025年は25回)
2 ITIダイヤモンド賞(最高位)
3 優秀味覚賞 三ツ星 7年連続(2020〜2026)
4 DLG(ドイツ農業協会)金賞
5 1997年から2026年までに、テレビ・新聞・雑誌・ラジオで112件(雑誌・書籍50件、テレビ47件、新聞10件、ラジオ5件)

催事出店の記録を見る / 受賞実績を見る / メディア掲載112件を見る

ハムやベーコンは、古くから岩塩を使って作られてきた保存食です。私たちは「完全無添加」とは表現しません。岩塩に含まれる硝酸塩からできる亜硝酸塩を、ボツリヌス菌を防ぐため必要最小限だけ使用し、保存料・着色料・リン酸塩は使用していません。詳しくは「無添加ハムの本当の話」

ONLINE SHOP

売り場の鉄板で温めているのは、この 薪・炭火仕上げ ベーコンブロック 280g です。会期に行けない方は、工房から直接お送りします。

薪・炭火仕上げ ベーコンブロック 280g を見る

※この記事は2026年9月に公開しました。年表と出店会場数は、当ファームの催事出店スケジュール(2017年以降の記録)と社内の出店記録、創業からダイヤモンド賞までの記事、2017年・2018年の催事報告に基づいています。年が特定できない出来事は載せていません。