百貨店の物産展には、わかりやすいルールがあります。
売れなければ、翌年はない。
どれだけ自分たちが「いい商品だ」と思っていても、どれだけ手間をかけて作っていても、それだけでは翌年の売り場は約束されません。
お客様が立ち止まり、試食をし、そして実際に財布を開いてくださるか。
その結果が数字になり、次の年にまた声をかけてもらえるかどうかが決まります。
私たちは1986年から、途中で自ら売り場を離れた時期を挟みながら、約40年にわたってこの世界と付き合ってきました。
これは、エーデルワイスファームと百貨店物産展の40年の話です。
1986年、店じまいを考えていた
私たちがハムとベーコンを商品として販売し始めたのは1986年です。
当時は、今とはずいぶん違う時代でした。
食品にも「質より量」が求められ、私たちの商品を道内の催事へ持っていっても、
「美味しいけれど、いいお値段ね」
そう言われることが少なくありませんでした。
手間をかければ、その分だけ価格は上がります。
けれど、その価値をまだ十分に伝えられない。
数か月たっても売れ行きが変わらなければ、もうやめよう。
そこまで考えていた頃です。
西武百貨店渋谷店のバイヤーから、「ギフトシーズンの催事に出ませんか」と声をかけていただきました。
翌1987年から渋谷店の催事へ出店。

1989年には常設の売り場を持つことになり、1993年まで販売を続けました。
その間、夏と冬の産直ギフトでは5回連続で売上1位になりました。
自分たちが付けた順位ではありません。
百貨店の売上集計で出た数字です。
北海道ではなかなか売れなかった商品が、東京・渋谷では評価された。
私たちにとって、物産展との長い付き合いはここから始まりました。
1993年に渋谷での常設販売を終えた後は、高島屋をはじめ、全国各地の百貨店催事へ出店するようになります。
2004年、年間200日の催事をやめた
ところが、売れるようになればなるほど、別の問題が出てきました。
売ることと、作ることが両立しなくなったのです。
2004年頃には、年間200日以上、どこかの百貨店催事に出ていました。
一方で、2002年には北広島の工房に、現在の直売所の前身となるショールームを開設。
ありがたいことに、商品の需要はさらに増えていきました。
私たちのベーコンは、短期間では作れません。
塩漬液に浸し、マイナス2℃前後で約4週間。
その後、二年間自然乾燥させたオークの薪と炭を使い、直火で燻します。
原料肉10kgから出来上がる製品は、およそ6kgです。
時間を縮めようと思えば、商品そのものを変えなければなりません。
催事へ人を出せば、その分、工房で火を見る人間が減る。
そこで2004年、私たちは一件を残し、ほぼすべての催事出店をやめることにしました。
理由は単純でした。
売るために、作るものを変えたくなかったからです。
それから十数年、私たちは百貨店の物産展からほぼ姿を消します。
「呼ばれなくなった」のではなく、自分たちから出ないことを選んだ時期でした。
2013年、大阪からもう一度声がかかった
転機は2013年でした。
商談会で、阪急うめだ本店の北海道物産展を担当していたバイヤー、薬師寺氏と出会います。
そこから二年間、何度も出店のお誘いをいただきました。
そして2015年。
私たちは阪急うめだ本店の北海道物産展へ出店します。
約10年ぶりの、本格的な百貨店催事への復帰でした。

ここから再び、ほかの百貨店の担当者からも声をかけていただくようになります。
ただし、以前のように年間200日出るつもりはありませんでした。
決めたのはひとつ。
工房が無理なく作れる範囲だけ出る。
それは今も変わっていません。
「大阪で売れたら、全国で売れますよ」
薬師寺氏には、もうひとつ大きな背中を押してもらいました。
ベーコン節®です。
開発したものの、手間も原価もかかる。
「こんな価格の商品を、本当に誰が買うんだろう」
私自身、発売をためらっていました。
そんなとき薬師寺氏から言われました。
「ぜひ大阪で最初にリリースしましょう。大阪で売れたら、全国で売れますよ」
2023年5月。
阪急うめだ本店で、ベーコン節®を毎日50本限定で販売しました。
結果は、毎日50本。
閉店を待たずに完売しました。
あのとき大阪で売り場に出していなければ、今のベーコン節®はなかったかもしれません。
商品を作るのは作り手ですが、ときにその可能性を先に見つけてくれるのは、売り場を知る人です。
物産展は、毎日が答え合わせ
催事の準備は、会期前日の昼頃から始まります。
搬入した荷物を開け、什器に布をかけ、看板を立て、商品を並べる。
売り場を作るだけで3時間以上かかることもあります。
見栄えを良くするためだけではありません。
お客様が商品を見やすく、私たちも話しやすい売り場を作るためです。

翌朝、開店。
ベーコンを薄く切り、鉄板で温めます。
二年間乾燥させたオークの薪で燻したベーコンを鉄板に置くと、燻煙の香りが売り場に広がります。
声をかける前に、その香りで足を止めてくださる方もいます。

一枚、試食していただく。
買ってくださる方もいれば、そのまま立ち去る方もいる。
それを一日に何百回と繰り返します。
非常にシンプルです。
けれど、だからこそごまかしが利きません。
受賞歴があっても、テレビに出ていても、それとは別の話です。
その場で食べたお客様が「買いたい」と思うか。
物産展では毎日、その答え合わせをしているようなものです。
25会場は、25回選ばれたということ
2020年は、新型コロナウイルスの影響で春の催事の多くが中止となり、出店は6会場でした。
2021年は12会場。
2022年は14会場。
2023年は16会場。
2024年は21会場。
そして2025年は25会場。
横浜高島屋、阪急うめだ本店、日本橋高島屋、そごう広島、玉川高島屋、ジェイアール名古屋タカシマヤ、香林坊大和、富山大和、天満屋岡山本店、大丸神戸店など、全国各地へ伺いました。
2026年は34会場への出店を予定しています。
※出典:当ファームの催事出店スケジュールと社内の出店記録。累計は示していません
数字だけを見れば「増えた」という話です。
でも、私が少し違う見方をしているのは、
前年に売れなければ、翌年はない
という世界だということです。
毎年出店している会場でも、翌年が保証されているわけではありません。
今年売れれば、また来年。
来年も売れれば、その次の年。
それを繰り返してきた結果が、今の出店数です。
40年経っても、やっていることは変わらない
1986年。
売れなければ店じまいしようと思っていた私たちに、渋谷から一本の声がかかりました。
2004年。
売れるようになったからこそ、ものづくりを守るために、自分たちから売り場を離れました。
2015年。
今度は大阪から声をかけてもらい、もう一度百貨店へ戻りました。
そして2026年。
私たちは今も、会期前日に木の看板を立て、鉄板を温め、お客様に一枚ずつベーコンをお渡ししています。

40年経っても、本質的には何も変わっていません。
どれだけ賞をいただいても。
どれだけ知られるようになっても。
最後に商品を選ぶのは、お客様です。
そして、その積み重ねで翌年の売り場が決まる。
私は、そのくらいわかりやすい世界でいいと思っています。
今年もまた、売り場に立ちます。
来年も呼んでいただけるかどうかは、まだ誰にもわかりません。
EPILOGUE
毎年呼ばれ続けているのは、毎年、売り場の審判を受け直しているからです。
エーデルワイスファームは、北海道北広島市でハム・ベーコン・ベーコン節®を製造しています。
1986年に渋谷から声がかかり、2004年に自分たちで降り、2015年に大阪から戻りました。
次の会期でどうなるかは、まだ決まっていません。それを決めるのは、売り場に来た人です。
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売り場の鉄板で温めているのは、この 薪・炭火仕上げ ベーコンブロック 280g です。会期に行けない方は、工房から直接お送りします。
※この記事は2026年9月に公開しました。年表と出店会場数は、当ファームの催事出店スケジュール(2017年以降の記録)と社内の出店記録、創業からダイヤモンド賞までの記事、2017年・2018年の催事報告に基づいています。年が特定できない出来事は載せていません。
